ポケモンカードのセンスに関して
2016年7月3日 ポケモンカードゲーム コメント (3)おはようございます。寝ずにラノベを読んでた(←何やってんだ!)タッツーです。
最近流行ってるんでしょうか?ポケモンカードのセンスという言葉をDNでよく耳にします(若干、流行に乗り遅れている)。
はじめて1年ちょっとの僕が手にするには重たすぎるテーマかもしれませんが、ちょっと挑戦してみたいと思います。一年後には言行不一致になってるかもしれませんがね(笑)
さて、センスを辞書で引くとこのように出てきます。
1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」
2 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」
この1の意味と2の意味が矛盾してると感じるのは、僕だけでしょうか?
1の意味は非常に感覚的なことを言っている気があるように思いますが、2の意味はロジカル。論理的です。
ポケモンカードというゲームは感覚で行なうものでしょうか?
僕にとってその答えは半分感覚で行なうものです。
こういうと、ポケカ舐めてんじゃねぇ!とお叱りを受けそうですが、デッキ構築の時、実際の対戦時にそれぞれに、感覚が介在する余地があるように感じます。
まず、デッキ構築で僕の場合はデッキのテーマを決めます。どのポケモンでどう戦いたいのか。これがデッキづくりの一丁目一番地です。ここが決まるとあとは、論理的にデッキのパーツを組み合わせていきだいたい50枚ほどが固まります。残り10枚を選ぶときにまた感覚が登場します。採用したい候補は20~30枚ほどあり、その全てで論理的に説明はできるのです。その中でどれが最も実現可能性が高く、自分の現在の思考パターン(性格、無意識にやってしまうクセ、最近の流行)に近いかは、感覚に頼らなければ導きだせないのです。
一方、対戦時はどうでしょう。僕はポケモンカードは将棋に最も近いと思っています。ポケモンカードは相手ターンに一切の行動が出来ない点で他のカードゲームとは一線を画しています。この点で2人対戦型ボードゲームに近いと感じます。また、トラッシュからのつりざお系による復帰や、フラダリによる自陣の攪乱など、こちらの予想外の場所からのトリックスターが許されています。その点、持ち駒のルールがある将棋の方がチェスに比べて、ポケカに近く、盤面を自由に描ける囲碁のような自由さには欠けるように感じています。
さて、将棋はロジックの支配する世界です。このことは人間の棋士がコンピューターに敗れていることからも明白です。しかし、ポケカをするのは人間であるため、そこに感覚の介在する余地があるように感じるのです。
僕の話になってしまい恐縮ですが、僕はポケカも将棋も早指しです。こう書くといいことのように感じますが、要は思いついたアイデアをすぐに実践したくなったり、自分の目指す盤面の完成のために一人で作業していることが多いのです。無論、早指しの利点は色々ありますし、他の早指しのプレイヤーの皆さんが揃って上記のような理由によって早指しだとは思いまんが、一因としてはあると思います(そもそも2進化やBREAK進化を立てること自体、自分の目標に向かって邁進しているだけなのですから)。
この時に基本は論理的に考えている対戦の中で、各個人のクセが出てきます。僕の例だと、自分の盤面を完成させることに集中し打点計算を誤ったり、手札のカードを見落としたりなどがあります。ミスだけではなく先にシェイミEXを落とすか否、よるのこうしんもちを根絶やしにするか、W無色エネルギーを破壊するかというところも、基本的には感覚に依存する各個人のクセだと思います。
そして、このクセ、思考のパターンは微妙に変化するのです。環境であったり、対戦相手が変化する中で、自分のプレイの仕方が変わります。新規カードの追加があるカードゲームでは、そのスパンが短く感じます(少なくとも将棋等より)。
話は、いよいよセンスの話に帰ってきました。
僕はポケモンカードゲームにおける、感覚思考と論理思考の割合は5分ずつであるといいました。そして、辞書は感覚と論理その双方をセンスと呼びました。
では、ポケモンカードにおけるセンスの有無とはどこにあるのだろう?
僕はこう考えます。
ポケモンカードのセンスがある人間とは、
1.自分が感覚をメインで考える人間なのか、論理をメインで考える人間なのかを把握している。
2.自分に不足している分野がどちらかを把握している。
3.実際にデッキを組むときにその思考パターンを織り込んだ、デッキを組んでいる。
4.プレイのときに自分の思考のクセを意識して、それを補う戦いが出来ている。
5.自分の思考パターンの変化に敏感であり、その変化に対応している。
の5点かなと思います。この5点は積み上げ式であり、仮に5.が出来ていても、3.が出来ていなければそのひとのその人のセンスは2.どまりになると思います。
話が大きくなったきました。では、タッツーはどうなのか。
僕は基本的に論理で動く人間です。所謂理詰めを好むタイプで、ロジックにこだわります。しかし、それに囚われるが故に時々場の空気や戦況を見誤り、結果的に感覚的な戦いになってしまいます。
即ち、1.は出来ているけれど、2.がしっかりできていないから3.4.がお粗末、5.は壊滅的といえるでしょう。自分で自分のスタイルを崩しているのです。その時の自分は気づかず…
このことから、現時点の僕にはポケモンカードのセンスはないといえるでしょう。しかし、先程書いた通り、この1.~5.は積み上げ式です。時たま、ぐぐっと2,3ケ月で上達される方がおられますが、こういう方は上位のセンス構成要素が満たされていたため、下位要素を手にした途端急成長したのでしょう。
他人はそういう人を見た時に、「あの人はポケモンカードのセンスがある。」というのではないでしょうか?
最近流行ってるんでしょうか?ポケモンカードのセンスという言葉をDNでよく耳にします(若干、流行に乗り遅れている)。
ポケモンカードのセンス? byコルク君
http://sssgalaxy.diarynote.jp/201606300037055903/
彼のこの記事から朗さんという方、H2さんという方、ちゃーさんという方の同テーマ記事に芋づる式に飛べます。
はじめて1年ちょっとの僕が手にするには重たすぎるテーマかもしれませんが、ちょっと挑戦してみたいと思います。一年後には言行不一致になってるかもしれませんがね(笑)
さて、センスを辞書で引くとこのように出てきます。
1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」
2 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」
この1の意味と2の意味が矛盾してると感じるのは、僕だけでしょうか?
1の意味は非常に感覚的なことを言っている気があるように思いますが、2の意味はロジカル。論理的です。
ポケモンカードというゲームは感覚で行なうものでしょうか?
僕にとってその答えは半分感覚で行なうものです。
こういうと、ポケカ舐めてんじゃねぇ!とお叱りを受けそうですが、デッキ構築の時、実際の対戦時にそれぞれに、感覚が介在する余地があるように感じます。
まず、デッキ構築で僕の場合はデッキのテーマを決めます。どのポケモンでどう戦いたいのか。これがデッキづくりの一丁目一番地です。ここが決まるとあとは、論理的にデッキのパーツを組み合わせていきだいたい50枚ほどが固まります。残り10枚を選ぶときにまた感覚が登場します。採用したい候補は20~30枚ほどあり、その全てで論理的に説明はできるのです。その中でどれが最も実現可能性が高く、自分の現在の思考パターン(性格、無意識にやってしまうクセ、最近の流行)に近いかは、感覚に頼らなければ導きだせないのです。
一方、対戦時はどうでしょう。僕はポケモンカードは将棋に最も近いと思っています。ポケモンカードは相手ターンに一切の行動が出来ない点で他のカードゲームとは一線を画しています。この点で2人対戦型ボードゲームに近いと感じます。また、トラッシュからのつりざお系による復帰や、フラダリによる自陣の攪乱など、こちらの予想外の場所からのトリックスターが許されています。その点、持ち駒のルールがある将棋の方がチェスに比べて、ポケカに近く、盤面を自由に描ける囲碁のような自由さには欠けるように感じています。
さて、将棋はロジックの支配する世界です。このことは人間の棋士がコンピューターに敗れていることからも明白です。しかし、ポケカをするのは人間であるため、そこに感覚の介在する余地があるように感じるのです。
僕の話になってしまい恐縮ですが、僕はポケカも将棋も早指しです。こう書くといいことのように感じますが、要は思いついたアイデアをすぐに実践したくなったり、自分の目指す盤面の完成のために一人で作業していることが多いのです。無論、早指しの利点は色々ありますし、他の早指しのプレイヤーの皆さんが揃って上記のような理由によって早指しだとは思いまんが、一因としてはあると思います(そもそも2進化やBREAK進化を立てること自体、自分の目標に向かって邁進しているだけなのですから)。
この時に基本は論理的に考えている対戦の中で、各個人のクセが出てきます。僕の例だと、自分の盤面を完成させることに集中し打点計算を誤ったり、手札のカードを見落としたりなどがあります。ミスだけではなく先にシェイミEXを落とすか否、よるのこうしんもちを根絶やしにするか、W無色エネルギーを破壊するかというところも、基本的には感覚に依存する各個人のクセだと思います。
そして、このクセ、思考のパターンは微妙に変化するのです。環境であったり、対戦相手が変化する中で、自分のプレイの仕方が変わります。新規カードの追加があるカードゲームでは、そのスパンが短く感じます(少なくとも将棋等より)。
話は、いよいよセンスの話に帰ってきました。
僕はポケモンカードゲームにおける、感覚思考と論理思考の割合は5分ずつであるといいました。そして、辞書は感覚と論理その双方をセンスと呼びました。
では、ポケモンカードにおけるセンスの有無とはどこにあるのだろう?
僕はこう考えます。
ポケモンカードのセンスがある人間とは、
1.自分が感覚をメインで考える人間なのか、論理をメインで考える人間なのかを把握している。
2.自分に不足している分野がどちらかを把握している。
3.実際にデッキを組むときにその思考パターンを織り込んだ、デッキを組んでいる。
4.プレイのときに自分の思考のクセを意識して、それを補う戦いが出来ている。
5.自分の思考パターンの変化に敏感であり、その変化に対応している。
の5点かなと思います。この5点は積み上げ式であり、仮に5.が出来ていても、3.が出来ていなければそのひとのその人のセンスは2.どまりになると思います。
話が大きくなったきました。では、タッツーはどうなのか。
僕は基本的に論理で動く人間です。所謂理詰めを好むタイプで、ロジックにこだわります。しかし、それに囚われるが故に時々場の空気や戦況を見誤り、結果的に感覚的な戦いになってしまいます。
即ち、1.は出来ているけれど、2.がしっかりできていないから3.4.がお粗末、5.は壊滅的といえるでしょう。自分で自分のスタイルを崩しているのです。その時の自分は気づかず…
このことから、現時点の僕にはポケモンカードのセンスはないといえるでしょう。しかし、先程書いた通り、この1.~5.は積み上げ式です。時たま、ぐぐっと2,3ケ月で上達される方がおられますが、こういう方は上位のセンス構成要素が満たされていたため、下位要素を手にした途端急成長したのでしょう。
他人はそういう人を見た時に、「あの人はポケモンカードのセンスがある。」というのではないでしょうか?
コメント
でもカードやるのにセンスなんてなくても出来るのであまり気にしないでです。
そんな自分は完全に感覚でカードやってます。
自分もDNをはじめましたので、もしよければ相互リンクして
いただければうれしいです♪
実はタッツー君とは対戦経験がないので、そのときはお手柔らかにお願いいたします!
哲学的な問題ですよね。答えの出ない問題を机の上でこねくり回すのは、暇つぶしには丁度いいです。
>>みなとパパさん
先ほど、遅ればせながらリンクいただきました。
今後ともよろしくお願いします。