1.ポケモンカードを楽しむために、勝利は必ずしも必要だろうか?
2017年12月11日 哲学:ポケモンカード コメント (3)日記を書くには早いかなと思いつつ書いちゃいますか。
まだタッツーって名乗ってていいのかな?僕の中ではタッツーは昨年きぜつしたはずですが、他に名前もないし、昔の人もそのままの方が分かりやすいのでこのままでいきましょう。
日記としても昨年度末の記事で閉じた方が綺麗なんですが、新しく作るのも面倒くさいのでこのままいきます。
改めまして、お久しぶりです。タッツーです。
10/20にGXバトルブーストが発売されましたね。XY環境でいうところのシェイミEX格のカプ・テテフGX狙いで買うには最適のパック。なんのかんの言っても、僕はポケモンとカードゲームが好きです。最も障害物だった方が引退されたという情報を渡してくれた人がいたので、擦り切れたジュナデッキ(horsea7.diarynote.jp/201702281712193255/)や骨董品のサザンドラbreak(http://horsea7.diarynote.jp/201606212321538511/)を手にうつろな目で(←割と怖かったと思う)、ジムバトルに出没していた。
背中を押してくれたコルク君(http://sssgalaxy.diarynote.jp/)には感謝すべきなのか、恨むべきなのか…
ポケモンカードの楽しさもダークサイドもなめ尽くした(下地があったとはいえ、1年間以上響く精神的ダメージは大きい)僕には、もう一回カードを握って大会に出る事は哲学になってしまう。
果たして今ポケモンカードにかけている時間とお金は、リソースを割くに値するのか。でも新規テキストの研究はする。非常に宙ぶらりんだ。
気づくとデッキが2つ出来ていて、もうすぐ3つ目が出来上がる。
今年になって新規勢・復帰勢は大幅に増えたらしい。去年の努力が虚しく思えることがある。貧乏くじを引いた、無知ゆえに引かされたと恨んですらいる人もいる。
自主大会の案は出てくる。SPサポート(http://horsea7.diarynote.jp/201605311524411965/)とは比べ物にならないけど、僕にしか開けない大会の案はある。環境さえ整えば自主大会を開くのもやぶさかではない。
大会に出ても、僕は黒星が多い。これまたコルク君の談であるが、「君があんまり環境デッキを握っているところを見たことがない」、「君はデッキビルダーというよりエンターテイナーだろ」。
サン・ムーン環境からポケモンカードは競技トレーディングカードの様相が強くなったように感じる。それについてはナチュラルな感想しか持っていない。
問題はエンターテイナープレイヤーに需要があるか。
昨日12/10 SPジムでクリスマス会があったらしい(なぜ僕が参加しなかったかは、過去の記事から察してください)。報酬2倍のキラグズマ争奪戦に来たのは、SPジムの定員になってしまった方と、SPジムを避けた僕の2人だけだった。
(いかにSPジムが静岡において強力な影響力を誇っているのかが分かる(笑))
勝負自体は五分。お相手の方の名誉のために言えば、僕の奇をてらったデッキにメタ読みが外れたお相手のデッキが十分に力を発揮できなかったからである。結果は時間切れちょうどに、こちらのポケモンが倒され、サイド差が逆転4-5で敗れてしまった。
「悔しかった。」
とてもとても悔しかった。だけれども、その悔しいは明らかに有利(強豪プレイヤーがいなくて1度勝てば優勝)な戦いに負けたことに対する悔しさだった。競技プレイヤーとしての「悔しさ」だった。
エンターテイナーは望むギミックが完成しなかったときに「悔しさ」を感じる。
僕は勝負していないはずの土俵にいつの間にか上がってしまい、負けて、勝手に「悔しがって」いるのだ。
ポケモンカードを楽しむのに勝利は絶対に必要だろうか?
多くのプレイヤーはこの問いに迷わずYESと答えるだろう。
僕はこれまでこの問いにNOを突きつけ、その実例をSPサポートバトルで示してきたつもりだった。
でも、僕が昨日それを否定してしまった。
正確には自然と敗北を悔しいと感じてしまった。
バトルは最高とは言えなくとも楽しかったのに、それだけでは十分ではないのだろうか。
―ポケモンカードの命題―
「ポケモンカードを楽しむために、勝利は必ずしも必要だろうか?」
駄文を最後までお読みいただきありがとうございます。
まだタッツーって名乗ってていいのかな?僕の中ではタッツーは昨年きぜつしたはずですが、他に名前もないし、昔の人もそのままの方が分かりやすいのでこのままでいきましょう。
日記としても昨年度末の記事で閉じた方が綺麗なんですが、新しく作るのも面倒くさいのでこのままいきます。
改めまして、お久しぶりです。タッツーです。
10/20にGXバトルブーストが発売されましたね。XY環境でいうところのシェイミEX格のカプ・テテフGX狙いで買うには最適のパック。なんのかんの言っても、僕はポケモンとカードゲームが好きです。最も障害物だった方が引退されたという情報を渡してくれた人がいたので、擦り切れたジュナデッキ(horsea7.diarynote.jp/201702281712193255/)や骨董品のサザンドラbreak(http://horsea7.diarynote.jp/201606212321538511/)を手にうつろな目で(←割と怖かったと思う)、ジムバトルに出没していた。
背中を押してくれたコルク君(http://sssgalaxy.diarynote.jp/)には感謝すべきなのか、恨むべきなのか…
ポケモンカードの楽しさもダークサイドもなめ尽くした(下地があったとはいえ、1年間以上響く精神的ダメージは大きい)僕には、もう一回カードを握って大会に出る事は哲学になってしまう。
果たして今ポケモンカードにかけている時間とお金は、リソースを割くに値するのか。でも新規テキストの研究はする。非常に宙ぶらりんだ。
気づくとデッキが2つ出来ていて、もうすぐ3つ目が出来上がる。
今年になって新規勢・復帰勢は大幅に増えたらしい。去年の努力が虚しく思えることがある。貧乏くじを引いた、無知ゆえに引かされたと恨んですらいる人もいる。
自主大会の案は出てくる。SPサポート(http://horsea7.diarynote.jp/201605311524411965/)とは比べ物にならないけど、僕にしか開けない大会の案はある。環境さえ整えば自主大会を開くのもやぶさかではない。
大会に出ても、僕は黒星が多い。これまたコルク君の談であるが、「君があんまり環境デッキを握っているところを見たことがない」、「君はデッキビルダーというよりエンターテイナーだろ」。
サン・ムーン環境からポケモンカードは競技トレーディングカードの様相が強くなったように感じる。それについてはナチュラルな感想しか持っていない。
問題はエンターテイナープレイヤーに需要があるか。
昨日12/10 SPジムでクリスマス会があったらしい(なぜ僕が参加しなかったかは、過去の記事から察してください)。報酬2倍のキラグズマ争奪戦に来たのは、SPジムの定員になってしまった方と、SPジムを避けた僕の2人だけだった。
(いかにSPジムが静岡において強力な影響力を誇っているのかが分かる(笑))
勝負自体は五分。お相手の方の名誉のために言えば、僕の奇をてらったデッキにメタ読みが外れたお相手のデッキが十分に力を発揮できなかったからである。結果は時間切れちょうどに、こちらのポケモンが倒され、サイド差が逆転4-5で敗れてしまった。
「悔しかった。」
とてもとても悔しかった。だけれども、その悔しいは明らかに有利(強豪プレイヤーがいなくて1度勝てば優勝)な戦いに負けたことに対する悔しさだった。競技プレイヤーとしての「悔しさ」だった。
エンターテイナーは望むギミックが完成しなかったときに「悔しさ」を感じる。
僕は勝負していないはずの土俵にいつの間にか上がってしまい、負けて、勝手に「悔しがって」いるのだ。
ポケモンカードを楽しむのに勝利は絶対に必要だろうか?
多くのプレイヤーはこの問いに迷わずYESと答えるだろう。
僕はこれまでこの問いにNOを突きつけ、その実例をSPサポートバトルで示してきたつもりだった。
でも、僕が昨日それを否定してしまった。
正確には自然と敗北を悔しいと感じてしまった。
バトルは最高とは言えなくとも楽しかったのに、それだけでは十分ではないのだろうか。
―ポケモンカードの命題―
「ポケモンカードを楽しむために、勝利は必ずしも必要だろうか?」
駄文を最後までお読みいただきありがとうございます。
コメント
悔しいときは悔しいですよ~。いまだに明確な線引きなんてできません( ゚ー゚)
でも仮にそれでも、だらだらとでも、続くのであれば、それは楽しいってことなのかな、と思います。
タッツーさんみたいな人と思わぬところで対戦できたら嬉しいですね。
SPジムは予約なしでも、気が向いたときにふらっと来てくださいね。
勝負事ですので、やはり負けるよりは勝った方が嬉しいというのが
人間の嘘偽らざる本音ではないかと思います。
ただ、使って面白くないカードで勝つよりも、使って面白いカード
で負ける方が私の考えです。
それ故、意固地なまでにゾロアークGXを使わないのですが、勝率
は悪いです。
それでも、ゾロアークGXのデッキに勝った時の気分は爽快です。