3.ポケモンカードの楽しさとは勝利の喜びのみなのか?
2018年1月10日 哲学:ポケモンカード体調がイマイチな時に書くことが多いですね(笑)
こんばんは、タッツーです。
賛否両論、少数派の主張を今回も始めていきましょうか。
今回は冒頭で、
―ポケモンカードの命題―
ポケモンカードの楽しさとは勝利の喜びのみなのか?
序論として挙げたいのは、よく子どもが「勝てないからつまらない」と言うパパさんの嘆きです。
ポケカをやっててオーガナイザー資格でも持ってる人なら、一度は相談されたことがあるんじゃないでしょうか。これは否定できませんね。子どもにとっては勝敗が大きな位置を占めていて、それ以外の楽しみを見つけろってのはなかなか難しい…僕は、SPサポート企画で勝敗以外でも楽しみの提供を試みたことはありますが、今回はあまり関係ないので置いておきます。
僕が問題に感じるのは子ども以外の大人の方々が、ポケモンカードの楽しみを勝利だけと考えていることです。
大人の方には出来れば、勝つこと以外、つまりカードゲームの駆け引きの楽しさを大事にしていただきたいんです。カードゲームには勝つこと以外にもデッキが回るように考える楽しみ、プレイングで差し手を考える楽しみ、相手の意表を突く楽しみ等々あるように感じます。結局は(というと乱暴ですが)、勝つために工夫することが楽しいのじゃないでしょうか。
だったら、最終目標が達成されなかったからといって、全ての楽しみが否定されるのは間違っているんじゃないかと思うのです。
ただ、残念ながら最近の風潮として、過程を無視して結果のみを求める方が多い気がします。強い方が事故って負けたときに、勝ち誇ったように振舞う方やデッキレシピを完コピして機械のように試合をする方などを見かけると残念に思います。
特に大人の方は、ジュニアのプレイヤーに指導する機会が多いかと思いますが、カードゲームの楽しさを勝利の1つしか知らないと、子どもはそれしか知らないプレイヤーになってしまいます(僕の偏見ですが、そういったジュニアほど傲岸不遜に感じます)。
僕はたぶん少数派ですが、強い方に勝った時の記憶はあまりありません(少ないですが勝たせていただいたことはあるはずです)。では、どういった試合が記憶に残っているかというとデッキが回転した試合です。勝っても負けても、お互いのデッキが全力で回って、ギリギリの勝負になった試合を覚えています。コンボデッキが非常に好きな性格もありますが、僕が一番カードゲームの楽しさを感じるのはデッキの回転です。盤面が完成した後の勝敗には、実はあまり興味がない時があります。
こういうとよく誤解されるのが、タッツーは勝敗には興味がなくて、勝つことを考えないデッキを組んでいるのかと批判されるのですが、これは誤解です。
一見、ネタデッキやコンボを決めることだけを考えたように見えると思いますが、しっかりと自分の操縦なら盤面を充分な確率で完成させて、勝利できるように組んでいます(特に災厄の竜[サザンドラbreak]の頃からは、コンボを決めて、しっかり勝つデッキを重視しています)。
早い話が、結果だけじゃなくて過程を重視したバトルをすることが、ポケモンカードの可能性を広げて、勝敗を超えて楽しい時間だったと思うためには重要なのではないかと思うのです。
既に実践されている方には釈迦に説法でしたが、趣味・娯楽で苦しむことに懲りた僕は、楽しさとは何かをしばらく考えていきたいと思います。
勝つ以外の楽しみを見つけたプレイヤーの方が、充実したカードゲーム生活を送れていると思い、皆さんに少数意見として提案する次第です。
日々過ごすうちに、意見が変遷しているのを自分でも感じていますし、気分や感情で書いている点が多いです。過去記事と整合性が取れていない点があるかと思いますが、多めに見て頂ければ幸いです。
こんばんは、タッツーです。
賛否両論、少数派の主張を今回も始めていきましょうか。
今回は冒頭で、
―ポケモンカードの命題―
ポケモンカードの楽しさとは勝利の喜びのみなのか?
序論として挙げたいのは、よく子どもが「勝てないからつまらない」と言うパパさんの嘆きです。
ポケカをやっててオーガナイザー資格でも持ってる人なら、一度は相談されたことがあるんじゃないでしょうか。これは否定できませんね。子どもにとっては勝敗が大きな位置を占めていて、それ以外の楽しみを見つけろってのはなかなか難しい…僕は、SPサポート企画で勝敗以外でも楽しみの提供を試みたことはありますが、今回はあまり関係ないので置いておきます。
僕が問題に感じるのは子ども以外の大人の方々が、ポケモンカードの楽しみを勝利だけと考えていることです。
大人の方には出来れば、勝つこと以外、つまりカードゲームの駆け引きの楽しさを大事にしていただきたいんです。カードゲームには勝つこと以外にもデッキが回るように考える楽しみ、プレイングで差し手を考える楽しみ、相手の意表を突く楽しみ等々あるように感じます。結局は(というと乱暴ですが)、勝つために工夫することが楽しいのじゃないでしょうか。
だったら、最終目標が達成されなかったからといって、全ての楽しみが否定されるのは間違っているんじゃないかと思うのです。
ただ、残念ながら最近の風潮として、過程を無視して結果のみを求める方が多い気がします。強い方が事故って負けたときに、勝ち誇ったように振舞う方やデッキレシピを完コピして機械のように試合をする方などを見かけると残念に思います。
特に大人の方は、ジュニアのプレイヤーに指導する機会が多いかと思いますが、カードゲームの楽しさを勝利の1つしか知らないと、子どもはそれしか知らないプレイヤーになってしまいます(僕の偏見ですが、そういったジュニアほど傲岸不遜に感じます)。
僕はたぶん少数派ですが、強い方に勝った時の記憶はあまりありません(
こういうとよく誤解されるのが、タッツーは勝敗には興味がなくて、勝つことを考えないデッキを組んでいるのかと批判されるのですが、これは誤解です。
一見、ネタデッキやコンボを決めることだけを考えたように見えると思いますが、しっかりと自分の操縦なら盤面を充分な確率で完成させて、勝利できるように組んでいます(特に災厄の竜[サザンドラbreak]の頃からは、コンボを決めて、しっかり勝つデッキを重視しています)。
早い話が、結果だけじゃなくて過程を重視したバトルをすることが、ポケモンカードの可能性を広げて、勝敗を超えて楽しい時間だったと思うためには重要なのではないかと思うのです。
既に実践されている方には釈迦に説法でしたが、趣味・娯楽で苦しむことに懲りた僕は、楽しさとは何かをしばらく考えていきたいと思います。
勝つ以外の楽しみを見つけたプレイヤーの方が、充実したカードゲーム生活を送れていると思い、皆さんに少数意見として提案する次第です。
日々過ごすうちに、意見が変遷しているのを自分でも感じていますし、気分や感情で書いている点が多いです。過去記事と整合性が取れていない点があるかと思いますが、多めに見て頂ければ幸いです。
2.エンターテイナーに勝利用のデッキの所持は必要か?
2017年12月12日 哲学:ポケモンカード コメント (3)こんばんはタッツーです。
先の記事にはいくつかのコメントを頂きましたが、少々考えがまとまらないため返信は保留させてください申し訳ないことです。
兼好法師は偉大な方だと感じています。
「徒然なるままに」という日記を書くには大変便利な言葉を遺されました。
僕も今はそれに甘えて新カテゴリを作成しました。「哲学:ポケモンカード」。
ポケモンカードに関わる方々はおそらくDNに戦術や戦略、新情報を求めてきてると思いますが、そんなことは一切無視して、全く関係ない生産性のない話を書こうと思います。
読み物として読んで考えてくださる方がいれば幸いです。
さて、徒然思いつくことを立て並べていましょう。
今回は環境トップデッキを持たないと決めているプレイヤーは、いざという時のために競技用デッキを持つべきなのか。
何のために?護身用?アニメの中なら必要そうですねSPサポートカードの中に無理やり閉じ込められたくはないですからね(何人にマインドカードが通じたんでしょうね(笑))
ただ、マナーの悪い子どもに出くわしたときに、搦め手デッキでルがゾロを相手しなければいけないときには、俺も単純で強いデッキを握っていれば、無残に負けて罵詈雑言を浴びせさせられることはなかったなと感じます。
TRPG(テーブルトークアールプレイングゲーム)なら、かっこいい負け方というのが存在するので、搦め手デッキの価値を理解してくれるのですが、この高尚な理念を理解できるのは高校生くらいなんですよね(https://ja.wikipedia.org/wiki/矢野俊策)。TRPGが分からない方は、矢野先生の作られるゲームで学ばれることをお勧めします。カードゲームを含むテーブルゲーム全般への理解が深まると思います。
子どもは自分より強い人の言うことしか聞かない場合が多いので、僕が以下に紳士的(自己評価)に接しても、マナーを治せないことがあるのです。強いデッキが必要なのか?
商品が絡んだバトルも強いデッキが欲しくなる。
僕はこの一年で趣味が分散した。グズマ1枚買うのも悩みが出てくる。
グレイシアGX HRの売値2000円で納得すべきか一週間悩んでいるレベルで、趣味に関しては金欠です。
ウィンターバトルは通常のジムバトルにしては景品が大きいバトルです。
そういったときに、伝家の宝刀の環境デッキを抜けないってのは。不利です。
常に最強を求めてるプレイヤーは普段のデッキをそのまま使えばいいですが、エンターテイナーは新しくデッキを組むか、そのまま戦うかの2択を迫られます。
去年の僕は前者、デッキビルダーを名乗るレベルでデッキに軍分けをして大会ごとに使い分けていました。それでも、白レック、行進、ボルケニオンなどのトップデッキは組んでいませんでした。高いし、つまんなかったので。
エンターテイナーはお金がかからない。
プレイヤーはお金がかかる。
マナーや勝負を重んじるエンターテイナーは、プレイヤー以上にエンターテイナー分のデッキの代がかかって一番お金がかかる。
さぁ、ここまで書くと何が楽しいか分からなくなってきますが、エンターテイナープレイヤーは勝てなくても、啓発活動に参加できなくてもエンターテイナーであり続けるべきなのでしょうか。
前回頂いたコメントの中でそれでも引かれるものがあるという一文がありました。そう、今のポケカは僕にとって何かしかの魅力はあるんでしょうね。
勝手ながら、疲れてきました。エネルギーのない時にものを書くとこうなりますね。そういう意味ではいつでも打ち切っていい「徒然」というのは楽ですね。
―ポケモンカードの命題―
「エンターテイナーに勝利用のデッキの所持は必要か?」
さて、哲学って名前は固すぎる気がするんだが、どうなんでしょうね。
今晩も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
先の記事にはいくつかのコメントを頂きましたが、少々考えがまとまらないため返信は保留させてください申し訳ないことです。
兼好法師は偉大な方だと感じています。
「徒然なるままに」という日記を書くには大変便利な言葉を遺されました。
僕も今はそれに甘えて新カテゴリを作成しました。「哲学:ポケモンカード」。
ポケモンカードに関わる方々はおそらくDNに戦術や戦略、新情報を求めてきてると思いますが、そんなことは一切無視して、全く関係ない生産性のない話を書こうと思います。
読み物として読んで考えてくださる方がいれば幸いです。
さて、徒然思いつくことを立て並べていましょう。
今回は環境トップデッキを持たないと決めているプレイヤーは、いざという時のために競技用デッキを持つべきなのか。
何のために?護身用?アニメの中なら必要そうですねSPサポートカードの中に無理やり閉じ込められたくはないですからね(何人にマインドカードが通じたんでしょうね(笑))
ただ、マナーの悪い子どもに出くわしたときに、搦め手デッキでルがゾロを相手しなければいけないときには、俺も単純で強いデッキを握っていれば、無残に負けて罵詈雑言を浴びせさせられることはなかったなと感じます。
TRPG(テーブルトークアールプレイングゲーム)なら、かっこいい負け方というのが存在するので、搦め手デッキの価値を理解してくれるのですが、この高尚な理念を理解できるのは高校生くらいなんですよね(https://ja.wikipedia.org/wiki/矢野俊策)。TRPGが分からない方は、矢野先生の作られるゲームで学ばれることをお勧めします。カードゲームを含むテーブルゲーム全般への理解が深まると思います。
子どもは自分より強い人の言うことしか聞かない場合が多いので、僕が以下に紳士的(自己評価)に接しても、マナーを治せないことがあるのです。強いデッキが必要なのか?
商品が絡んだバトルも強いデッキが欲しくなる。
僕はこの一年で趣味が分散した。グズマ1枚買うのも悩みが出てくる。
グレイシアGX HRの売値2000円で納得すべきか一週間悩んでいるレベルで、趣味に関しては金欠です。
ウィンターバトルは通常のジムバトルにしては景品が大きいバトルです。
そういったときに、伝家の宝刀の環境デッキを抜けないってのは。不利です。
常に最強を求めてるプレイヤーは普段のデッキをそのまま使えばいいですが、エンターテイナーは新しくデッキを組むか、そのまま戦うかの2択を迫られます。
去年の僕は前者、デッキビルダーを名乗るレベルでデッキに軍分けをして大会ごとに使い分けていました。それでも、白レック、行進、ボルケニオンなどのトップデッキは組んでいませんでした。高いし、つまんなかったので。
エンターテイナーはお金がかからない。
プレイヤーはお金がかかる。
マナーや勝負を重んじるエンターテイナーは、プレイヤー以上にエンターテイナー分のデッキの代がかかって一番お金がかかる。
さぁ、ここまで書くと何が楽しいか分からなくなってきますが、エンターテイナープレイヤーは勝てなくても、啓発活動に参加できなくてもエンターテイナーであり続けるべきなのでしょうか。
前回頂いたコメントの中でそれでも引かれるものがあるという一文がありました。そう、今のポケカは僕にとって何かしかの魅力はあるんでしょうね。
勝手ながら、疲れてきました。エネルギーのない時にものを書くとこうなりますね。そういう意味ではいつでも打ち切っていい「徒然」というのは楽ですね。
―ポケモンカードの命題―
「エンターテイナーに勝利用のデッキの所持は必要か?」
さて、哲学って名前は固すぎる気がするんだが、どうなんでしょうね。
今晩も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
1.ポケモンカードを楽しむために、勝利は必ずしも必要だろうか?
2017年12月11日 哲学:ポケモンカード コメント (3)日記を書くには早いかなと思いつつ書いちゃいますか。
まだタッツーって名乗ってていいのかな?僕の中ではタッツーは昨年きぜつしたはずですが、他に名前もないし、昔の人もそのままの方が分かりやすいのでこのままでいきましょう。
日記としても昨年度末の記事で閉じた方が綺麗なんですが、新しく作るのも面倒くさいのでこのままいきます。
改めまして、お久しぶりです。タッツーです。
10/20にGXバトルブーストが発売されましたね。XY環境でいうところのシェイミEX格のカプ・テテフGX狙いで買うには最適のパック。なんのかんの言っても、僕はポケモンとカードゲームが好きです。最も障害物だった方が引退されたという情報を渡してくれた人がいたので、擦り切れたジュナデッキ(horsea7.diarynote.jp/201702281712193255/)や骨董品のサザンドラbreak(http://horsea7.diarynote.jp/201606212321538511/)を手にうつろな目で(←割と怖かったと思う)、ジムバトルに出没していた。
背中を押してくれたコルク君(http://sssgalaxy.diarynote.jp/)には感謝すべきなのか、恨むべきなのか…
ポケモンカードの楽しさもダークサイドもなめ尽くした(下地があったとはいえ、1年間以上響く精神的ダメージは大きい)僕には、もう一回カードを握って大会に出る事は哲学になってしまう。
果たして今ポケモンカードにかけている時間とお金は、リソースを割くに値するのか。でも新規テキストの研究はする。非常に宙ぶらりんだ。
気づくとデッキが2つ出来ていて、もうすぐ3つ目が出来上がる。
今年になって新規勢・復帰勢は大幅に増えたらしい。去年の努力が虚しく思えることがある。貧乏くじを引いた、無知ゆえに引かされたと恨んですらいる人もいる。
自主大会の案は出てくる。SPサポート(http://horsea7.diarynote.jp/201605311524411965/)とは比べ物にならないけど、僕にしか開けない大会の案はある。環境さえ整えば自主大会を開くのもやぶさかではない。
大会に出ても、僕は黒星が多い。これまたコルク君の談であるが、「君があんまり環境デッキを握っているところを見たことがない」、「君はデッキビルダーというよりエンターテイナーだろ」。
サン・ムーン環境からポケモンカードは競技トレーディングカードの様相が強くなったように感じる。それについてはナチュラルな感想しか持っていない。
問題はエンターテイナープレイヤーに需要があるか。
昨日12/10 SPジムでクリスマス会があったらしい(なぜ僕が参加しなかったかは、過去の記事から察してください)。報酬2倍のキラグズマ争奪戦に来たのは、SPジムの定員になってしまった方と、SPジムを避けた僕の2人だけだった。
(いかにSPジムが静岡において強力な影響力を誇っているのかが分かる(笑))
勝負自体は五分。お相手の方の名誉のために言えば、僕の奇をてらったデッキにメタ読みが外れたお相手のデッキが十分に力を発揮できなかったからである。結果は時間切れちょうどに、こちらのポケモンが倒され、サイド差が逆転4-5で敗れてしまった。
「悔しかった。」
とてもとても悔しかった。だけれども、その悔しいは明らかに有利(強豪プレイヤーがいなくて1度勝てば優勝)な戦いに負けたことに対する悔しさだった。競技プレイヤーとしての「悔しさ」だった。
エンターテイナーは望むギミックが完成しなかったときに「悔しさ」を感じる。
僕は勝負していないはずの土俵にいつの間にか上がってしまい、負けて、勝手に「悔しがって」いるのだ。
ポケモンカードを楽しむのに勝利は絶対に必要だろうか?
多くのプレイヤーはこの問いに迷わずYESと答えるだろう。
僕はこれまでこの問いにNOを突きつけ、その実例をSPサポートバトルで示してきたつもりだった。
でも、僕が昨日それを否定してしまった。
正確には自然と敗北を悔しいと感じてしまった。
バトルは最高とは言えなくとも楽しかったのに、それだけでは十分ではないのだろうか。
―ポケモンカードの命題―
「ポケモンカードを楽しむために、勝利は必ずしも必要だろうか?」
駄文を最後までお読みいただきありがとうございます。
まだタッツーって名乗ってていいのかな?僕の中ではタッツーは昨年きぜつしたはずですが、他に名前もないし、昔の人もそのままの方が分かりやすいのでこのままでいきましょう。
日記としても昨年度末の記事で閉じた方が綺麗なんですが、新しく作るのも面倒くさいのでこのままいきます。
改めまして、お久しぶりです。タッツーです。
10/20にGXバトルブーストが発売されましたね。XY環境でいうところのシェイミEX格のカプ・テテフGX狙いで買うには最適のパック。なんのかんの言っても、僕はポケモンとカードゲームが好きです。最も障害物だった方が引退されたという情報を渡してくれた人がいたので、擦り切れたジュナデッキ(horsea7.diarynote.jp/201702281712193255/)や骨董品のサザンドラbreak(http://horsea7.diarynote.jp/201606212321538511/)を手にうつろな目で(←割と怖かったと思う)、ジムバトルに出没していた。
背中を押してくれたコルク君(http://sssgalaxy.diarynote.jp/)には感謝すべきなのか、恨むべきなのか…
ポケモンカードの楽しさもダークサイドもなめ尽くした(下地があったとはいえ、1年間以上響く精神的ダメージは大きい)僕には、もう一回カードを握って大会に出る事は哲学になってしまう。
果たして今ポケモンカードにかけている時間とお金は、リソースを割くに値するのか。でも新規テキストの研究はする。非常に宙ぶらりんだ。
気づくとデッキが2つ出来ていて、もうすぐ3つ目が出来上がる。
今年になって新規勢・復帰勢は大幅に増えたらしい。去年の努力が虚しく思えることがある。貧乏くじを引いた、無知ゆえに引かされたと恨んですらいる人もいる。
自主大会の案は出てくる。SPサポート(http://horsea7.diarynote.jp/201605311524411965/)とは比べ物にならないけど、僕にしか開けない大会の案はある。環境さえ整えば自主大会を開くのもやぶさかではない。
大会に出ても、僕は黒星が多い。これまたコルク君の談であるが、「君があんまり環境デッキを握っているところを見たことがない」、「君はデッキビルダーというよりエンターテイナーだろ」。
サン・ムーン環境からポケモンカードは競技トレーディングカードの様相が強くなったように感じる。それについてはナチュラルな感想しか持っていない。
問題はエンターテイナープレイヤーに需要があるか。
昨日12/10 SPジムでクリスマス会があったらしい(なぜ僕が参加しなかったかは、過去の記事から察してください)。報酬2倍のキラグズマ争奪戦に来たのは、SPジムの定員になってしまった方と、SPジムを避けた僕の2人だけだった。
(いかにSPジムが静岡において強力な影響力を誇っているのかが分かる(笑))
勝負自体は五分。お相手の方の名誉のために言えば、僕の奇をてらったデッキにメタ読みが外れたお相手のデッキが十分に力を発揮できなかったからである。結果は時間切れちょうどに、こちらのポケモンが倒され、サイド差が逆転4-5で敗れてしまった。
「悔しかった。」
とてもとても悔しかった。だけれども、その悔しいは明らかに有利(強豪プレイヤーがいなくて1度勝てば優勝)な戦いに負けたことに対する悔しさだった。競技プレイヤーとしての「悔しさ」だった。
エンターテイナーは望むギミックが完成しなかったときに「悔しさ」を感じる。
僕は勝負していないはずの土俵にいつの間にか上がってしまい、負けて、勝手に「悔しがって」いるのだ。
ポケモンカードを楽しむのに勝利は絶対に必要だろうか?
多くのプレイヤーはこの問いに迷わずYESと答えるだろう。
僕はこれまでこの問いにNOを突きつけ、その実例をSPサポートバトルで示してきたつもりだった。
でも、僕が昨日それを否定してしまった。
正確には自然と敗北を悔しいと感じてしまった。
バトルは最高とは言えなくとも楽しかったのに、それだけでは十分ではないのだろうか。
―ポケモンカードの命題―
「ポケモンカードを楽しむために、勝利は必ずしも必要だろうか?」
駄文を最後までお読みいただきありがとうございます。